天井の節穴から。

 俺は基本的に何かに仕えないタイプなので、宗教戦争が始まると色々と困る。簡単に言うと、相手の心情が理解出来ないのでヒスを起こしたバカを見るような気分になるんだよね。要は不勉強と無自覚の為せる技なんだろう。でもなぁ、俺にとって命をかけてでも通さなきゃ行けない筋はないからなぁ。命の方が余程重いわなぁ。
 最近熱い信条を持つ人間を眺める事が多いので、それを見ては「滑稽だなぁ」とむず痒い気持ちになる訳なんだけど、まず矛盾が発生する構造と、認知的不協和の解決に必要な判断階層の設定が不十分な気もしないでもないと言うか、尾ひれを真に受けて殴り合うなら少しは差引して譲った方がいいんじゃないかなーとか思わなくもないと言うか。
 まあなんだ、昔は身の回り、手の届く範囲しか目に届かなかったから、そこでうまくやってりゃ良かった訳だけど、このネット文化の浸透によって「わざわざ見なくていい物を探し出してきてキレる」層がやたら増えたなぁと思った。ガキっつーか中2病っつーか。パクリの話もそうだけど、とりあえず喰っていくのに必要ないところで無駄なエネルギー放出してるなぁとか思うよ。なんだろう、そうやって世界中を異端審問して磔刑にかけていけば世界は平和になるの?まぁいいや、俺は逃げ隠れさせてもらいますよ。目の前の壁を全てぶち壊せば王道が広がるなんて覇権主義的な考え方は俺は大っ嫌いだよ。敢えて言う。大っ嫌いだ。それが正しかろうが間違っていようが上から押さえつけるやり方はまともな人間のやる事じゃねえよ。
 まあ価値論題は最後は感情のぶつけ合いと言うぜんぜん無価値なゾーンでの罵りあいが相応しいんだろうなとこっそり思った。たまに覗いて不愉快になるくらいなら俺も見なきゃ良いのにねえ。