断定の反対語ってなんだ。

 断じる力が強いと何かを失っている気がするんだけど、なんだ。信じる力?

 語呂はいいかな。
 取りつく島無く一息に断じる言葉って言うのは凄く力強くて、その力があれば大抵のことは出来ると思っていたのだけど、俺にはそういう言葉を使う才が無いので、逆サイドにあるのは何かなあと考えてる。
 逆側にあるのは許容する精神とか相手を受け入れることのような気もするけれど、それでいいんだろうか。

 ここしばらく鬱々としているおかげで中2病の穴蔵にどっぷり浸かっていて、おかげでマッピングは順調に進んでる。患者らしくいうなら心の闇の解析が進んでる。いつか全部言葉で説明出来るようになったら何かの役に立つ気がして、ライフワークみたいに定期的に潜ってるのは自分にとっていいことではないのだろうけど、案外楽しくてやめられない。たぶん、そういう中2病の抜け切らない自分が好きなんだ。

 時々友人知人から共感めいた感想を聞いたりするのは、そういったところが似ているからだろう。似てるけど違うところもあったりして、中2病の視野にも盲点があるのだなあと思った。自分では見れないところを意識させてもらえると、視界が更に開けていい感じなので、もっといろんな人とこの中2病世界を共有したいなと感じた。

 仕事で客と話していた時、「三次産業は机の上で右から左にお金流すだけで儲かってて羨ましいっスよね」と本来言ってはいけない愚痴を言ってみたら、「だけどこれからはそういう頭を使った奴だけが儲かる世の中になる」と的を射た指摘を貰った。次にあった客はなんとなーく作ったものをただ売るだけのスタイルだったので偉そうに売り先との繋がりとか人と人のコミニュケーションを根底にしいた販売の理念を講釈垂れたら妙に感謝されて死にたくなった。これは割と常識じゃないのか、魚心あれば水心とか今の日本には無いのか。どう作るかの前にどう売るかがあるのが商売じゃないのか。マジ終わってる。そんなんだから要管(ry

 つうか仕事しようぜ。