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 人に言うでもなく、自分に言い聞かせるのが主目的だよ。
 個人的にはねー。人間関係って投資なんだと思うんだよね。もしくは商取引。「これはいいものだ!」って思ったものにリソースを突っ込んで何かしらのリターンを得るというルーチンになっている。稀に見込み違いだったり、信用全力2階建てで上場廃止くらったりして人生退場のダメージ喰らったりするし。
 同じ銘柄で2回も信用全力2階建てで死んだのはいまでも大切な思い出ですが、いつかまた取引再開出来ないかなーとか思ったり本当に俺ってバカ。まあ本気だったからいいのかなぁ、いまでも本気だから良い思い出にしておいた方が良い気がする。つーかこっちでそのネタ使うの禁止だったような。まぁ良いか。
 まぁ、原資は無限大の心の取引だから負けても気にならないんだけど、いつか完全に全部失った時にどうなるんだろうなあと考えるとなんだかワクワクしてくるよね。ゼロってあり得るのかなあ。気にしないでガンガン振りまけるようなバカになれたらいいなぁ。なってみたいもんだわ。損得勘定は疲れたんだ。
 とりま「もう次は良いや」って感じで生きてるから良いんだけどね。友人なら他人だから、裏切られても「ま、そんな事もあるわな」って納得出来ると言うか、友人と対立するのは俺的にアリなので全然良いんだけど、家族とか身内候補にそれやられると俄然許し難くなるっていう、そういう考え方が既にダメなのかも知れないね。…身内と対立する、かぁ。味方が完全に居なくなるなwww そんなの耐えられるのか俺www


 基本的に「後の先」対応を基本として生きてるつもりだけど、後の先の極意って先読みからの詰め将棋なんだよね。結局は予測という名の期待に基づくから、根底にある読みにズレがあると乖離を拡大させる。間違いを素直に認めて直せば良い話に過ぎないけれど、これが案外難しい。人生も然り、株も然り。
 じゃあどうするかって条件反射レベルの読みに終始するのが一番良くね?って話で、それが所謂上っ面の対応だってのは良くわかってんだけども今のところそれしかないと言う。次善の策としてアリなのか。コレジャナイ感が酷くするけど。そして、これが理屈で解いた紛い物だってのも寒い話だ。俺は学者か。


 完全に余談だけど、俺は学者は好きだけど、学者のやっている事は「自然に成り立っている事を理解出来るレベルに噛み砕く」仕事だと思ってるので職人より下の仕事かなーと思ってたりする。そこから新しいモノも産まれる事はわかっていても、なんかその「上の方にあるものを下に引きずりおろして解剖する」のが最近ちょっといやらしく感じるようになったと言うか軽く軽蔑してたりする。まぁ自分がやってる事が似たような事だから尚のことなのかなぁ。ホント呪われてるわ俺。