すっかり忘れていた

 そうそう。他人のブログで持論を展開してから思い出したけど、未だに「各論ネガティブ、総論ポジティブ」なのは替わってないんだよね。そこだけはいつまでも譲らないと言うか、そこ王道にして良いの俺。
 各個別事象への判断や評価は基本的にネガティブというかポジティブ面の評価をするのは余程の事でないとしない、というスタンスは評価の絶対軸の中で「評価すべきもの」が一定のレベルに達していないと評価する価値がないと思っているからなんだろうなあ。有り体に言えば「他人へ勧められるレベル」または「自慢していいレベル」に達していることを「評価する」前提としてる節があるような、無いような。個別の性能やステータスは客観視することを重視している予感。
 これを途中から補強したのが「中華の大同小異は『だいたい同じ』ではなく『違う所があるよ』のニュアンスが強い」とかそんな感じの論説だったかな、あんまりよく覚えてないけど。違うものは違うと認めた上で同じであることを採るべき、って意志は結構面白いと思う。少年ジャンプ的で。呉越同舟的な思想は嫌いじゃないしね、目的地が違っても道のりが重なる部分があるなら、そこは旅の道連れって奴ではないかなあ。だからって目的地まで付き合うのは違うんじゃね?っていう。まあ一番最悪なのは目的地が誰とも被らないことなのかも知れないけれど。それはそれで自分らしさですよねっていう詭弁で自嘲するしかないのが最近ちょっと辛いかな。いい加減慣れるべきなのだけど。


 だから総論ではポジる訳なんですが、わかりますか?わかりませんよね。そこが俺自身のコアミームなんだろなって思わなくもないのだけど、機密事項として処理しておいた方がなんか格好いいから言わない。