mixiに熊が出たと聞いて。

 ぐるぐる考えた結果、この腹の底からわき上がる感情は大2病か同属嫌悪だと気が付いたのですよ。
 まずちょっとグリズリーマンの話をしようか。たしかこれかな?(http://mbz.org/info/fun/grizzly/.images/)ああ、グロ画像だから注意してね。1枚目もグロと捉えるか3枚目こそがグロなのかちょっと意見が別れるけれど、個人的には殺されたクマーもテッドも可哀想ではあるわな。テッドも保護してやるべきですよ。いや、この写真は関連性なかった筈なんだけど、俺の数年前のグロ画像閲覧の記憶では熊にウマウマされてるところの画像もあったようなー…と思ってたら公園で熊に襲われた人は生きてたんだっけ。そうか。
 閑話休題。そもそもこれグリズリーマンじゃねえし。グリズリーマンがウマウマされてる動画はこの世に存在していないのが割と残念だよなーと言っちゃうのはちょっと人としてどうかと思うので言わないけれど、音声ファイル(http://helloworldanimals.blog47.fc2.com/blog-entry-10.html)は壮絶の一言に付きたね。えーと、昔Youtubeで見た「ダイビングで着地失敗してのたうち回る人」の衝撃を思い出すレベルの悶絶感。まあそうだよな、生きたまま喰われるんだからそりゃ殺生だよなあ。まあグリズリーの保護を訴えて喰われるとか相当タチの悪い冗談だけどな。噂では「友達だったのに!」とか「信じてたのに!」とか叫んだって話だけど、俺のヒアリング能力では全く聞こえないや。もし聞き取ったら、そのどうしようもない思い込みが打破されて絶望していく様を想像してゲラゲラ笑ってしまったと思うので、聞こえなくて良かった。まあ犬猫とも完全な相互理解は不可能だし、ましてや熊だもんなあ。
 で、グリズリーマンが身を以て示してくれた通り、環境保護という概念はエゴなんですよ。それは10年以上前に人類がすでに通過しているんだけどなあ。「熊に被害を受けるから殺す」と言う発想も「熊が可哀想だから生かせ」という発想も、どちらも人間のエゴでして。まあどっちもどっちだよなあ。前者はエゴでガッチガチだし、後者は「ケダモノにも愛情を注げる俺カッコいい」という自己愛か下らねー自己投影に過ぎない。少なくともガチで自然と向き合ったら食うか食われるか、生きるか死ぬかしかないのに。
 横からしゃしゃって来て殺すなって言うなら年間3億から7億にもなる熊からの農作物被害額を肩代わりしたら誰も文句言わないと思うんだけどねえ。あー。なんかこの構造どこかで見たな、死刑制度の議論もこんな感じのよーな気がするんだよな。


 まぁ、わからなくはないんだよね。人間が傲慢だから環境破壊を招く、そういう向きもあるだろうし、自然は大切にすべきだ、その考え方も一定の理解はする。でも、何処で折り合いをつけるかに正解はないんじゃないのかなあ。あと人間も自然の一部ですよね。「人間とそれ以外」っていう薄っぺらい価値観はちょっとどうかと思うんだよなあ。ほら、ガイア仮説的に。そもそもエコだって「半永久的に自然から恩恵を受けるためにバランスよく搾取しよう!」って話なのにね。そんなガラス玉をたかだかと掲げて得意満面のバカどもを見ているとなんともまあ…15年前の自分を思い出して吐き気がするよ。