ほほうカップうどんプレゼントですか。

 馬鹿にするな、どん兵衛くらい欲しければ自分で買うさ。
 と思わず呟いたけどポチったりする辺り乞食根性が抜けてねえなーと思いつつ、喰わねど高楊枝で死ねるなら兎も角、日々生きていける程度には恵まれた環境はくだらないルサンチマンを育てるもんだなぁとぼんやり思った。それを逃したら死ぬ訳でもなく、でも手に入らないと何となく敗北感を育むとかどういう情動だこれは。この妙に育ちやすい劣等感はどこで育てたんだろうなぁ。ああそうか、自己否定の先にあるのか。成る程。
 何かを失うというのは実質マイナスなのだけど、何かを手にいれるプラスと失うマイナスが絶対値で同じでないのはイラつく。認識の問題でしかないのだけど、そこをうまく操作してやれない自分にムカつく部分はある。過程も評価するから得た物は大きくなりがちで、だからこそ昔の人は「逃がした魚は大きい」と諭してくれた訳だけど、認識の断片じゃなくて喪失感のソリューションはもっと即効性でバキッとくる奴ねーの?安易に解決を求めるのも浅はかな気がするけれど。ふとモンゴル人の教えを思い出し「要するに慣れか?」と思い直した辺りであのデブは全然がっついてたな、異質なのかしら、それともモンゴル人も変わってきたのかしら、と思ってたらアランさんの「一部の人間だろう」を思い出して苦笑い。然り。そうっスね、世の中って複雑だよね。
 応募?しねーよ、見くびるな。