ここ十年来の疑問

 「漫画やテレビばかり見ていると、想像力を使わないからバカになる」とガキの頃は良く言われたものだが、同人文化などを見ていると「想像力使ってるんじゃないですか?」と切り返したり出来そうだなあ。
 とか思ってたら「既成キャラクターと世界観でしか物語を作れない薄弱な想像力に何の価値があるというのかね」と、うちの理性に手厳しく突っ込まれた。確かにそうスね。じゃあネット文化も定形句の氾濫でそうなると思うんスかね?と厭味を言ったら「同調圧力に屈して均質化するのは愚民だと思わないか?」…もういい君と話す事は何もないわ。たわけが。
 さて。俺にとってはヒキから次のOPまでが「どうなるんだろう?」という次回への予想と空想の入り交じった至福の待ち時間であり、wktkタイムなので想像力はそこそこ使うんだが。案外コレが普通じゃないと思い知るまで十数年かかった。特にあのネタバレを異常に嫌う人達、あまり理解出来ない。まあ攻略本を普通に読むタイプの俺には理解出来ないのだと思うけれど。多分最初の一読目とか初めての思い出とかそういうのを大切にしたいんだろうなぁと想像してみたけれど、その辺の感覚は良くわかんねーな。じゃあ君らは映画のCMやゲーム雑誌を読まないのかと。次回予告は何のためにあるのかと。
 昔、ネタバレを嫌う子に「お前らは来週号が出るまでなにしてるんだ?」と聞いたら「何もしないよ?」と不思議そうに切り返されてその乖離に言葉を失ったことがあったけど、まさにそれなんだろうなぁ。その楽しみ方自体は否定しないけれど、なんか勿体ないような気もするし、羨ましいような気もする。
 例えば、「ここの焼肉屋はなまら高いけどA5の和牛喰えるんだぜ!」って話を聞いて、その店で喰うまでの「A5のサシってどんな感じだろう、どんな味がするんだろう。つうか値段に見合っただけのうまさなのか?他にはなにが喰えるんだろう?」ってwktkして情報収集して積み重ねた期待感とともに食う焼き肉とただただ目の前にある焼き肉を食べる違いと言うか。多分後者の方が目の前の肉へのリスペクトがあるような気もする。でも、色々調べて想像を膨らませた肉と目の前の肉を比較しながら喰う肉もまた格別だと思うんだよ。…もしかすると、「肉を食べる」のと「期待と現実の差分を食べる」違いがあるのかなとも思ったけれど。俺はかなり後者よりだけどね。そういう意味では純粋に楽しめてないのかなぁ。
 と言ったところで、森博嗣の小説でプラネタリウム半回転と言う安いトリックを見破って悦に入ってたら、あとがきで「あんなもん誰でも見破れるでしょwww でも見破っちゃったら詰まんないんですよwww(大意)」と思いっきりコケにされたことを思い出した。つまりアレっスか、のめり込みが足りないと言いたかったのだろうか。でも「黒猫の三角」のミスリードには思いっきり引っかかってしまったし、そしてそれ故に楽しかった事を考えると、そっちのが楽しめるのかなあ…
 それは頭を使うなと同義ではないのだけど、一歩引くと詰まらなくね?という問題提起でもあるのか。放っとけ。俺はずっと輪の中でも和の外に居続けるよ、物見鼠で充分だ。無理にして和の中に溶け込もうとして沢山の犠牲を支払ったことを思えば、そこに居る事は俺にとっては正解じゃねえよ。