紋切り型の思考って何だったっけ?

 友人がツイッターで大変お怒りの様子で空気読まない横レスしたら微妙な雰囲気になった。やっぱレス元参照とか基本を怠ったらダメだな。マジで済まんかった。これは俺が悪かったよ、マジでごめん。
 発端が『いわゆる「エコな」を英語で言うと、eco-friendly。ところで「エゴ」から濁点を取ると「エコ」なんですね。自分から無駄なものをそぎ落として身軽になる=エコってことなのかも。なんて、ちょっとこじつけかもしれませんが★』という…うわぁ…これ酷いや…他のレスも見たら「これは怒るわ…」と納得した。まあ桐原書店のノリ自体はフレンドリーと言うかこれはこれで受けてるんじゃねーの?テレビ的で。休憩中に見るくらいのノリとしては需要あると思う。
 紋切り型の発想って意味では、「エコはいいもの」みたいなセンスを感じるから間違いなく金太郎飴状態かと。個人的にはこの感性は「鯨は賢いから殺しちゃダメ」って発想と同じカテゴライズなのでエコに対するスタンスとしては落第点だと思ってるけどな。エコロジーな人間は高みに居る訳じゃない、エコじゃなかった頃の業を背負ってる。そこで非エコの人間に対してのスタンスが別れるというか、持続的発展の為にいま必死に発展させようとする人間の頭を押さえつけても良いのかと言う問いに、彼らはどう答えるんだろう。
 この問題は元不良の集団が夜回りして不良の頭を押さえつけたりするのと同じで、根本的には問題の解決を見ないんじゃないかと思う。不良の弾圧は基本的には法律に付随する部分が発生するケースがあるから一概に批判したくはないのだけど、そこにある問題の根をきちんと解決してやって同じ方向に持って行くと言う行動が大切なんじゃないのかなあ。同じ側にいたならわかるだろうに、自覚が無かったらヤだなあ。そういう大人は今でも嫌いだ。
 要するにエゴの認識の部分に食い違いがあるんだろうなぁ。「エゴはいけないもの」ではなくて「エゴは誰にでもあるもの」なんだけど、自然発生するものを問答無用で抑圧する精神ってどうなのかなと思う。その強さには強弱があって、人によっては昇華したり代償したりする事が出来ないケースもある訳で。そこらへんの打開策は俺も持ってないんだけど、どうにかしなきゃなあとは思う。
 まあ俺は基本的に他人のエゴはガチガチに弾圧するタイプなので偉そうな事言っちゃいけないんだけど。それで逃げられたしなぁ。「今度」はもう無いと思うけど、もし違う形でも「今度」と言うものが来たら、ちゃんと妥結できるような努力はしたいと思ってる。思ってるだけだけど。