その類いの話題はまかせろ!→やめて!

 非コミュ検査ついでに存在承認のお話。個人的にアノニマスでやれ、っていう雰囲気なんですけど、まあ10年以上個人としてぼやき続けた矜持と言いますかもうあとには戻れませんよ!むしろ戻る気ないんじゃないか、俺。
 まあアレですよ、存在承認は必要だけど質が色々あって小さい承認を積み重ねてもダメ。刺繍用の糸でカンダタは地獄を脱出出来ないの。ロープもってこいロープ!もっと大きな存在承認を!

 と、言う訳で大きな存在承認を得る為に色々考えてみた。

 どこかの漫画でもあったけど、自分がもし別のコミューンだったら、今の友人たちとは友人にならず、そこで同じくらいの友人を得ていただろう、って話。だから「得難いもの」なんて本当はないんだ、と。存在承認が軽く感じるのは多分これのせい。代替不可の友人って、多分存在しない。まあそれは家族や恋人も同じだけれど。
 もちろんこれに対する反論がある。逆に、今の友人たちはほんの些細なきっかけで得られなかったかも知れない訳で、そう考えるといま友人としてつるんでくれている事が「得難いもの」でもあるわけだ。
 どちらかが間違いと言う訳ではなく、どちらも正しい。矛盾するように見えるのは、境界条件による詭弁。「得る事」に主眼を置くのか、「得た結果」に主眼を置くのかで意味が違うという話。つまりIFにあたる前者の概念を重視すべきかrealにあたる後者への対応を重視すべきかという話。ちなみに後者の方が受ける存在承認への価値が上がる。

 でも、それで何百人親友作ったら俺の自我を支える存在承認になるのかなあ。友人だけで腹が満たされる事はないと思う。まあ、目の前にある物をゴミ箱に叩き込むような考え方をしていると幸せな孤独への道をひた走る羽目になるのでオススメはしないけれど、孤独が不幸だって定義付けさえしなければまあうまくやって行けるよ。ときどき狂いそうなくらい悲しくなるけれどね。だからそれじゃダメじゃないか!あぶねえ。

 社会的な承認はもう諦めているのでまあしょうがないんじゃないかな。可能性のある奴は頑張れ。

 あともう一個は恋愛絡みか。そういえば「友達なら良いんだけど…」って言うのは存在承認を得ている筈なのに凹むんですよ、不思議。まあその辺は素人なんで、あんまり深く考えたくない。つーか、もう何回も何回も裏切られてると、正直「そこで存在承認なんてあり得なくね?」って思うよなあ。ああうんブログで愚痴ってりゃ良いんでしょ?なんかその可哀想な痛い奴を見て慈しんだりするのが楽しいんでしょう?みたいな。知らねえよ、他所でやれ。ていうかそれが「好き」に転化しちゃう謎のプロセスはどこから湧いてくんの?アタマ湧いてんの?
 だから逆に日本海溝より深い断絶が初めっからわかり切ってる飲み屋の女の子とかと話す方が割と癒されるよね、中身ねーと言うか、他愛無いと言うか。どうにでもなあれ、っていう軽さ?
 あとの事を気にしないで言いたいこと言うのは気分的に楽で良いよ。責任が無くて。だからブログとかそーいうのが流行るんだと思う。そういう浅い関係は心を満たす事は決してないのだけれど、かといって土足で相手の陣地踏み荒らして殴り合うかのような熱い心の通い合いはエネルギーがいるし、敬遠するのもわかる。質の高い馴れ合いは少しで良いんだよ、親友なんて片手で余る程度の人数以上は維持できないしな。うん、31人が限界だね、なんで2進法なんだ。

 だからネットで出来た友人は関係性が薄いのかなあと思った。俺自身、「首根っこひっつかんで説教する?ありえねー。励ませば乗り越えて行けるんだろうし、それでダメだったらそりゃもう圏外だよ」って思うし。だからまあ、色々思うところはあるけれど、彼らが彼らなりに踏ん張って生きてくのを見て「ヤベっ、俺頑張ってねえ!」って刺激し合うのが一番かなあと思う。存在承認?お互いにきっとそんなもんだと思うよ。いれば張り合いもって生きれるけど、いなくなったら凹むくらい。そのすべてを失っても、ただ凹むだけだろ?問題ないんだよ。

 と、話題が完全に逸れてたけれど、恋愛絡みの存在承認は本当に強力で、それだけで多分存在承認の問題は完全に解決すると思う。実際そう言う時期はそんな事考えたりしなかったし。まあ放っておかれるとそこを起点に大きな崩落を始めてくれるのでハイリスクハイリターンなのは否めない。むしろ最初から諦めていた方が…って気もしないでもないけれど、頑張っただけの見返りはあるよ。いや、あったよ?おかげさまでご覧のザマだけどw

 あと、完全に身体を壊して以来、誰からも信頼されないと言うか、もう「マトモな人間」扱いされてない俺の存在承認なんか宝くじで高額配当出すみたいなもんかなあと半ば諦めているので、それはそれで楽。失った物の大きさは知っているから「まともな人生を諦めようとする奴」はたたき潰して本来の道へ返してやりたいけれど、落っこちてもう戻れない奴がそれなりに心の平穏を保てるような手段は伝えておきたい気がする。まあそれは俺の為でもあるからね。俺自身「心技体兼ね備えた完全なる駄目人間」へのエントリーを済ませた身だから、そこで自分を支えきれなくなったらあと死ぬだけだもんなあ。でも死ぬのは怖いよ、アレなんで苦しいのか未だに良くわかんないんだ。「死んでおけば良かったのに」って何度も思うけど、じゃーお前も同じようにやってみろよ死にたくなくなるから。

 誤解の無いように言っておきますが、別に俺死にたがりじゃないからね。生きたがりだから。

 結局存在承認無しで生きるのは自転車で日本一周するのと同じで「不可能ではないけれどしんどいよ」というありふれた結論しか出てこないので、狙える奴はガンガン狙った方がいいと思う。諦める奴は相応の覚悟をしろと。
 俺は…まあ…まだ諦めた訳ではないんだ。いずれ諦めるけれど、もう少しだけ頑張りたいかなぁ…