一年の計は元旦にあり

いやなこと考えるのはたいてい夜中。
まあ長く生きる事は諦めてるんだ。人並みの幸せとかもね。まともな体じゃないし、不健全な肉体と精神の両方を手に入れた以上は、もう、ね。
かといって割り切って生きて行けるわけじゃない。いっそこのまま有閑ニートしていけば楽に死ねるのに、責任を果たそうとか思わなければ楽になれるのに。
能力のあるなしを考えずに、社会の一員から放り出される事への漠然とした不安から、居場所を得る事に依存しちゃってる。
まあ親に心配かけるのも、兄さんに失望されるのも、どっちも怖いんだ。今の俺の寄る辺は家族しかない。きっと俺がニートになったら、本当に浮かぶ瀬はなくなるし、それこそもう、社会人を間借りなりにでもやっているなけなしの自尊心まで失ったら、自分を支えるモノは何もなくなってしまう。そうなった時、俺は何処に寄る辺を見出だし、支えとして生きるんだ?って思ってしまう。
逆にくたばるまで社会の一員として生きるとして、その役目を果たせる自信が無い事、肉体的に無理だろうという不安、いろんな障害が頭に浮かんでは消える。その全てと戦い抜けないまでも向き合わなきゃいけないのが苦痛。
大学時代に一度割り切ったつもりだったのに、また迷ってる。もうガキじゃないんだから、言い訳が出来ないのにね。

これは本当に先生みたいな感覚だよ。俺の心のなかのKは隔絶に耐えて死に体ながらも生きながらえてる、周囲にごまかされ、支えられながら。そのかわりに俺の心のなかの先生は劣等感と自己不全をこじらせて苦しんでる。