スカポログを整理

スカポログは…へっへっへ…練れば練るほど色が変わって…こうやってうpして…うまい!!
テーレッテレー♪
http://www.youtube.com/watch?v=GO1YcNVNTy8
 頭の中がどうかしてるとしか思えないですが今日も元気です。さて近辺のログをちょっと整形したい衝動に駆られたのでちょっと整理してみる。多分ここには大事な事が書いて…ねーのか…いやでも…今週のブリの平子さんには大いに笑わせて頂きました。(バッ)ハッチ!(バッ)一護!ってコレ凄くコラに使いてええええええ!!一応発売日前だから禁則事項ですね。サーセン

 でまあ世の中空気読めとか他人の気持ちを大事にとか「一部の人間のため」の空気感を凄く大事にするんで死ねば良いのにとか思うんだけど、アレも結局声の大きい奴のルールに従わせている訳で、その辺の構造は欠陥社会の根底なんだろうなとか思わざるを得ない。俺のルールも大概酷いから偉そうな事は言えないけれど。じゃあどこを目指せば良いんだろうとか思ったところ、そこが中二病の入り口でした。だいたい精神年齢が中学2年生で止まった奴がそんな事考えてもひり出てくるクソは想定内のクソでしかないと言う。…俺も何を言ってるのか良くわからないが、要するに時間を止められたんだと思う。

 人の気持ちを尊重するのは社会人の最低限のルールで、これを守りながらどうやって自分のワガママを貫くかというのは、割と普遍的な悩みだと思う。起案文書に決裁判貰う時に良く悩むし。会議が延々と無駄に長い理由は合理的な結論に対して心情的な「落とし所」を模索するからだし。そこで「僕はわかりません!僕は僕の気持ちしか考えませんよ!」とか重戦車の如くごり押しできる厚顔無恥さや自分本位の開き直りは、利害が一致している限りは指示しても良いと思う。他人事であるうちはどうでもいい。ただその重戦車がこっちに向かってきた時にみんな口を揃えて言う訳だ、「空気読め」とか「人の気持ちを考えろ」って。要するに行動自体の評価はニュートラルで、行動の矛先、被害を受ける対象によって評価を使い分けてる印象がある。結局「人の気持ち」というのは身内の気持ちでしかなくて、小規模なコモンセンスの仕様書を逸脱しない範囲で行動しろと言っているに過ぎない。語彙レベルでの「人」と言う概念なんて個人の脳内にはインスコされてないんだよ。

 それを是としないのが中2脳で、突っ込まないで大人のスルーを見せるのが一般人、そんな気がする。そういう訳でここからが中2の領分です。他人を蹴落としてまで大人になりたくない、というか自分の正当性を手放してしまいたくないから人は中2世界へと堕ちていくのよ。まあ現実的に綺麗なままの中2なんていないと思うんだが、自分が薄汚い人間だって事を呑み込めないから中2なのかなあ。大人はそういう事を気にしない。気にしないと言うか上手くフタをして普段意識していないのか。その手の案件と向き合わないと言えば良いのか、言い切って良いのか。

 この話題は正直グレーゾーンと言うか明確な答えが必要ない部分だと俺は認識していて、カチッとひとつの答えを導いてはダメなんだと思う。敢えて先に書いたけれど、「何が綺麗で、何が汚いのか」という価値感はケースバイケースで、どこのグループに属していて、どのような利害関係があるかを整理した上で論じるのであれば多少役に立つけれど、境界条件を曖昧にしたまま行為への評価を行うと全く意味がない。それこそ「空気を読む」結果になってたかどうかの評価だけが実績として残って、それ以外の事は枝葉末節扱いになる。

 大きくまとめると、場の参加者の出来るだけ多くの人間にプラスの結果になるように行動する、あるいはプラスの結果を与えたい人間に最大限利益が回るように行動し、それに準じて敵味方の線引きをして敵に損害を与えて味方に利益を回す。といった辺りが正解の近似値なのかなあと思う。それが社交性なんでしょ、きっと。


 ここまででひとまず結論。この先にある問題の方が根は深くて結論が難しいから、いちど話題を切ります。この答えだけでも個人の安定は保証されて上手くやって行けるしね。ただ、集団の一員として、という括りになると話が複雑になるんだ。ここから先は俺自身実践が伴ってない空論なので鵜呑みにはせずに色々考えてみて欲しい。


 「場の安定を重視する」仕組みでみんなが動いている事についての是非はあまり問う気にならないけれど、だからいじめは無くならないし、世の中は相変わらずクズなんだっていう話でもある。場の雰囲気に流される、洪水になって流されてるだけでは駄目だって言うのは、場を支配してる価値観、ミームが正しいとは限らないから。その場で場の雰囲気に抗うのは明らかにその場においてはマイナスで、前述の正解近似値と乖離する。でも、その場だけでなく、大きな流れで見たら場の参加者全員に取ってプラスになる可能性がある。そこでわざわざペナルティを支払ったりリスクを背負い込んだり、無駄なコインを浪費してまで集団の将来へ行動する意味があるのかどうかって言われるとまあ他の集団へ行こうぜって思わないでもないのだけど。

 ただ、ミクロとマクロは繋がっていて、小さい存在の動きの積み重ねが大きな存在の動きへと繋がる気もするしまたその逆もあると思うんだ。国外へ逃げる気もない俺の場合は大きい集団としての日本人からは抜けられないと思うので、その中で楽しく暮らす為にはもう少し声を大きくした方が良いのかなあと思わなくもない。だからまあ、集団への投資はそれなりに必要だとは思ってる。どこにどれだけとかはまだ考えてないけど、考えは早めにまとめたい。


 中2的思想って、かなりの次元でロジック解析してほぼ把握できたとしても、それは何故かハイレベルな中2病になっているパラドクス。「おかしいなでぐちがない」そう思っても一度得た視点を放棄するのは難しくて、中2的な視野になるとそこから先はずっとその世界しか見えないんじゃないかな。恐らく中2病患者は中2病の再定義を繰り返すあまりに中2病から抜け出す事が出来なくなってしまうんじゃないか。まあ自分の話なんだけども。