ニコ神様、アンタの言う事わかったわ。

ハチワンダイバーこと菅田はおっぱい揉むと将棋が弱くなってた事がありましたね。
で、俺は彼女がいるとBlogが腐る、と。まあ全部消したから検証不可だけど友人から指摘されました。
「Blogのキレ増してたよ!」って。やっぱりかwww

俺も思ってたよ。もうすぐこの世から消えてしまうAZMAのように、僕の文章もこの世の中が嫌いだから書ける文章なんだ。嫌いと言うか、自分を認めてくれない世の中への不満と、それでも存在承認を諦めない必死の嘆願と言うか。そういうエネルギーが所謂「味」や「キレ」と呼ばれているんだろうね。

自分の努力?自己実現?それはまた別の話。

いい加減30にもなって言う事じゃ…もう諦めようかとも思わなくはない。いや、大人になる事を。もう俺永遠の中2脳でいいかもしれない。そういうモノの見方だってひとつのサンプルとしてWebに残ってた方が良いんじゃないの?
と、思って周囲を見回したらそういうのは世に溢れてて、そこに需要はあるのかと思ったりするのだけど。

概念を遺伝子に見立てたミームの世界では、価値観の多様化はミームの進化として必要不可欠なのだけど、現状に対しての不快感は拭えないんだよね。俺はデジタル土方じゃないからわからないけど、綺麗なコードと書きやすいコードがあって、「書きやすいコードが氾濫していく世の中なんて堕落しているだけじゃないか!」って思っちゃうのと似ているのかな。俺が機械教に染まりきれないのはそういう理由。俺のこころの反面教師であるKは言ってたよ、「向上心のない奴はバカだ」って。だからお前は現実に絶望して死んだんだよバカって今の俺は切り返すけれど、だからって今の俺が易きに流れている事を肯定する事にはならないわな。
でも、増えやすいものが世界を覆い尽くすのは有史以前からの生物学的な不文律で、そのバリエーションを楽しむ事は忘れちゃいけない(なんでかって言うと世の中自体がそういう作りだから)。
だから俺は全てが綺麗なコードでないと許せないような人間とはまた違うのだけど、綺麗なままでいて欲しい部分はあったんだけどね…それもまあ、十年以上前に駄目にしちゃったよ。

俺が汚したからああなっちゃったのか、それとももともと汚れる仕様だったのかは知らない。ある意味もの凄く綺麗ではあるのだけど、そういう事は俺は望んでなかったんだけどなあ…まあ、他人の人生だから、もう口を出すべきじゃないのだけど。出来れば、ずっと側に寄り添えたら良かったんだけどね。仕方ないか…ごめんな、不甲斐無くて。

閑話休題

だから多分今の俺は、今までの俺よりは多少遠くまで見通せてる。でもきっと、人生は楽しまないと損だし、この世の中は俺の存在承認なんか絶対してくれない。
でもそれで良いんじゃないの?それが良いんじゃないの?
悲しいような気もするけど、凄く晴れやかな気もする。

もっと高いところに行きたい。もっと高くへ。そこに辿り着いてがっかりするのか感動に打ち震えるのかわからないけれど、そこに至る道はきっともの凄く楽しいと思うんだ。