スタンスよりアプローチの問題。

 基本的に「利他主義」を是として吹聴する人間にロクな奴はいないと思っているのだけど、それを地で行ってるお花畑はなんていうか怖い。


 個人的な意見だけど。利己主義と利他主義はスタンスの違いではなくアプローチの違いでしょ?スタンスは利己主義一択しかないのに。「誰かの為に」という行動は基本的に見返りや充足感を求める利己的な行動に起因している訳で、その本質を誤魔化した時に見返りを得られなかった時の絶望や怒りに呑まれて人間は道を誤ってゆくのだと俺は思ってる。「誰の為」って「自分の為」だろ。被災地に支援するのも、困っている人を助けるのも、野良猫に餌をやるのも、極端にいえば他人を愛したりするのも全部自分の為の行動で、それを自分で選択しているだけの話では無いの?そこに欺瞞を混ぜるから「利他主義」っていう概念は主流になれないんだよ。紛い物が世界に浸透した世の中なんてぞっとしないぜ。
 全て自分の責任で選択したのなら結果も自分で受け入れれば良い話で、そこに「誰か」を混ぜ込むから責任転嫁したくなる。「他人への施し」は「即物的に自尊心を満たす」か、「将来的に使えるカードを入手する」か、「将来の大相場への仕掛け」か。この3択以外にする必要はないんだよ。


 利己主義において利益を最大化する方法というのは大まかに言って2種類あって、単純に利益の最大化を図る方法と、長期的に安定した利益を得る方法がある。前者は構造が単純で、端的に言えば競争社会がそれだ。ゼロサムゲームで最期まで生き残ることを目指して頑張れって話。後者は経営というか「他人を利用する」事が前提になるけれど、談合社会みたいな感じかな。可能な範囲で役割を分担し、お互いの利益を配分する。「健全な競争を阻害する」と言われて独占禁止法で規制されたりしているけれど、実際には協同組合法で保護されていたりする訳で、つまり法的に「健全な競争なんて無いんですよ」と断言している訳さ。
 この状態を単純に説明すると「世の中は『不平等』ながらも『公平』な状態が『公正』です」と言っているようなもんで、それを前提にした上で自分の利益を可能な限り増やしながら、それを長期間維持する戦略を立てるのが妥当なやり方で、それは一人で競争社会を戦い抜く事じゃなく、利用出来る他者をうまく取り込みながら共闘するのがベターなんじゃないかなと。そう、俺は思うんだ。


 勿論一人で勝てる奴はガンガンやれば良いんだろうけれど、それが出来ない有象無象の群れに囲まれてボコにされないように気をつけないといけないよ。俺は囲んでボコにする側だけど。でも、それが正常な競争社会だと俺は思うなあ。