それってどれ?ミファソ?

 友人がこんなことを言っていた。いや、知人かも知れない。まぁ俺の友達付き合いって浅いから向こうは友人と思ってないかも知れないけれど。まぁいいや。


 「常に『それ自体』が問題である。」


 この言葉の是非については俺は肯定する立場だけど、ただひっかかるのは境界条件の設置の仕方が俺と違うことが軽く引っかかった。物事は単一の区分という括りで捉えるべきかどうか、と言えばそれはイエスでそれ以外は無いと思ってしまいがちだけど、じゃあ単一ってのは「どこからどこまでがひとつか」という条件に答えを出さずに話しちゃ行けないって話でね。その見解を一致させないで話しだすとまず揉めるんだよなぁとモヤモヤした気持ちを抱えたので言っておくね。
 「あのアニメは好き、でも監督は嫌い」はあり得る。「あのアルバムのこの曲は好き、でもそれ以外の曲は嫌い」も通る。じゃあ「このカレーは微妙、でも福神漬け入れたら喰える」これは通るか?


 通す人も居れば、通さない人も居る。思うのは他者の感想を許容する余裕、違うことを受け入れる諦念なのかなぁと思わなくもない。レギュレーションなく始まる会話で後出しの決まりを述べられるとお互い気まずくねーかな。それを提示するならそこから先は大人の付き合いだと思うんで、お互いにルールを決めてから会話したら良いと思うんだよね。


 だってさぁ「マヨネーズの話をしようぜ」でキューピーなのかケンコーなのか、レギュラーなのかハーフなのか、決めないで話すならなんでもありだろ?ポテトチップスでも良いさ。決まりが無いなら逸脱するのもアリだと思うんだけど、それがダメって言うのはなんか気に入らないね。実に気に入らないね。