ひさしぶり。

 つまり、だ。彼らの構図は結果的に絶望による現実の拒絶でしかない訳だが、それでは面白くないのだよ。解釈としても理解としても。その突破口が開けたら凄く面白くなると思うんだけど?
 という訳で懲りもせずいつもの奴です。


 俺はKのように「理想の自分」と「現実の自分」の乖離に耐えられず心が折れたりはしないから別段問題はないのだけど。理想の自分が主になる事で現実の自分を拒絶するのが内向きの絶望と言うか視野が狭いと言うか「若いって良いよね(笑)」で済まないけれどまぁ、そんな青春の一頁を乗り越えて人は大人になって行くんですかね。知らねえっつーかどうでもいいけど。そこで現実をへし折るほど頑強な理想を作り上げ…たと言うより、信奉した?その強い魂は粋だな、とは思う。真似出来ないし、したくもないが。現実を無視するほどの化け物育てるのは正気の沙汰じゃない。


 じゃあ先生はどうなったんスか、と言う話がここ最近のマイブームである訳だけれど、自殺のプロトコルが基本的に「現実を認識する機関の停止」っつー身も蓋もない結論な訳だから、現実の拒絶、月並みな言い方をしてしまえば現実に絶望しただけの話でしかない。その現実ってのは、Kが拒絶した「駄目な俺」ではないな、って所まではわかっていたけれど、最近なんとなくもっと自分本位と言うか、えげつないものを拒絶したんじゃないのかなと予想するようになった。
 たぶん先生は、自分じゃなくて周囲を拒絶したんじゃないのか。「ああ、こんなもんか」というガッカリ感。期待してみたんだけど「案外そんな良いもんじゃねーな」っていう残念感。「こんなゴミみたいなもん、やっぱいらねえや」という他罰の結果として、その手段を選んだんじゃねーかな、というのが最近の俺の見解。ほんとゲスだな。死ねよ。
 言い訳を何頁も読まされた「私」の心情を慮ると笑いがこみ上げてくる酷い罰ゲーム。そんなに自分の人生が気に入らなかったのかよ、全く同感だが。全てがある程度掌に収まって、予定調和が長く続くとちゃぶ台ひっくり返したくなるのもわからなくはない。その枠を時折ぶち壊してくれていた親友の存在は結構大きかったのかな、と今なら思う。


 見た事のない景色を見たい、かといって安心出来る、安定したい場所も欲しい。それって案外二律背反のようなもんで、両立するのは結構大変だったりするのかな。俺は出来なかったし、これからも出来ないんだろうけれど。でもなあ。


 要するにやっぱそうすると俺を殺すのはそっちなんだよな。飽きる日がこない事を祈っておくよ。