つまり根っこはそこか。

 ふと「神は居るか?」と問われた場合、その「神」の定義によって在不在の判断って変わらね?と思った。
 個人的には一般的に言われる神様みたいなのは否定的な立場なんだけど、もっと上位というかこちらからの理解が及ばないレベルに何かいてもいいかなあと思わなくはない。パン職人とパン生地内の分子の関係のような。乖離しすぎててお互いの干渉が及ばないような何かとか、有り体に言えば「何で君ら神様は人間の味方って無条件に信じてんの?」みたいな中2的な反逆心と言うか。「神は我々を見守っている」とか自意識過剰じゃないの?とか普通に罵倒しちゃうのもアレだとわかってはいるんだけど。
 この辺の世界観のルーツはどこにあるのかなあと思っていたら、火の鳥でやってた宇宙マトリョーシカだった。まあそんなもんだよね、有象無象の一個人に下敷きなしの創造は無理だとは思ったんだ。個人の概念の垣根を越えて自分の理解が届かない何かの存在を明確に意識するのはきっかけがないと無理だから。普通は理解しやすいモデルに置き換えるもんだからなあ。


 文脈の大きい所がすっぽ抜けている訳ではなく、これが普通の流れです。この間に埋まってる文脈を掘り起こすのが俺の手順なんだけど、何が埋まってるのかは俺も良く知らないからタチの悪い話。