なんかここ前に来た事あるような…

 プッチ神父の邪悪とは、要するに「俺はこう思うよ!だからお前らみんなそうなれ!」っていう"反論を許さないまっすぐさ"ですよねーってプッチ語録をググってたら書いてる人を見かけ、「ああ成る程そういわれてみれば確かに」とか腑に落ちた。


 「ネタバレ論争のときのカードとしてプッチ語録は良く使うんだけど、実はネタバレを見なくても覚悟は出来る。」
 「俺は嘘バレだと信じていたけれど全然そんな事はなかったぜ!」
 元蔵先生の次回作をお楽しみに!


 みたいなやり取りが出来る環境ってどこかにありませんか。ないですね。僕らはその場が楽しければいい感じのフリーライダーと言うか、野次馬の…ほら…ええと…「俺たちゃ天下のドンキュー応援団、そう火事が好き野次馬が大好き!!どこよりも早く現場に直行、目の色変えて『バンザーイ!』どんどん火の手が上がるテンションも上がる疲れて寝てる奴も居る、ふと気付けば一面焼け野原、お役御免で直行直帰」ってほら、B.B.E.だっけ?電気グルーヴの。「崖から竹馬でダイビング」の語呂の素晴らしさを越えるリリックはなかなか見ない。あんな感じ。そこに何かあるなんて信じるなよ、何処にも何もない。会話の本質ってのは「如何に気持ちいいラリーを長く続けるか」でしかないんだよ僕ら会話のピンポンマニアには。中身?そんなの言葉様も「中に何もありませんよ」くらい言うよ!
 結局人間の相互理解を根本から諦観しているから僕らは会話そのものの検証は後日、って思ってるんだけど、すぐ熱くなる人たちはきっとそこに「相互理解」がある事を信じてプッチ神父と化すから恐ろしい話。いいかい、そこにいるのは他人だ。そいつがどんな人生でどんな経験と思いを積み重ねてそこでしゃべくってるのかを理解せずに、自分がどんなバックボーンを抱えてそこでいきり立ってるのかを説明せずに、会話が成り立つ訳がないんだよ。そこにあるのは紛争と本質的に大差ない。数百年も殺し合いをしても気付かないのか、気付いた所で止められないのか知らないけれど、端から見たらとっても不毛な不幸だよねぇ、と、ケラケラ笑いながら僕なんかは楽しませてもらっている。いつも楽しいですよ?これからも楽しませて下さい。


 まあいくら煽ってもやる奴はやるんだろうけどなー。悲しいけど面白いからいいんだけどさ、下らない争いも視点を変えれば笑えるショータイムになるんだよ、世の中はもっと広くて狂ってるんだから、いい加減その狭い視野に引き蘢ってないで外から俯瞰くらいしてみろよ。間違いと既知外は何処にでもいるんだしな、間違ったら謝れば良いんだよ。常に正しい自分なんてあり得ねーんだしさ。ウッスい脱構築虚無主義でこの程度の視座には容易に辿り着けんのになんでみんな意固地に自分の視座にこびり付いてるんだろう?そんなに価値ある自分なんて何処にも存在しないのに不思議ー。なんてなー。


 まあ、みんな信じる道を行けば良いんだけどね。俺はそれ見てゲラゲラ笑ってんのが楽しいんだ。どうせ居場所なんてないしね、フラフラと漂いながらお前ら眺めてるから。一応ね、「足場作ってちゃんと生きてる人間が一番偉い」事は知ってるよ?そうでなきゃ道化は勤まらないからね。