今日は早めに寝る

 こう、ふとした時に「あーやっぱダメだなwww」とボダっぽい愚痴が漏れるのもいい加減失笑ものだなあと苦笑いする俺ですが、どうせどこからも必要とされず顧みられる事もなく終わるんだろうなという気持ちは、漠然とした不安ではなくてオチの保証であり、恐らくその辺が自分のベースになってんだろうなと思ったり思わなかったり。
 そんな風に終わりたくないから最悪を想定するタイプの「気構えとしての保証」じゃなくてね。ほぼ確定した結末への安心感と言うか、まあ受け入れたという話なのかも知れない。確定した結末の拒絶は絶望で止まってしまうのだけど、許容する事で余裕が生まれると言うか、行き着く先の保証は結果がどうあれ受け入れる事が出来れば安定した未来への切符とも言えるのだなあと、何となくそんな事を思った。まあ丘の上から眺める街の景色は焦燥に駆られるものでもあるのだけど、そこに住めない事も棲まない事もひっくるめれば、半泣きで笑うくらいの余裕は生まれるものだねえ。
 そこに居られるかどうかという話と、そこに居たいかどうかの話は別次元の話で、俺はここに居られるけれど居る事の出来ないそっち側に憧れる隣の芝生効果を実感しているから、手の届く範囲のものについては必要とするし顧みたりもするよ。俺が行けない芝生に他人を押し込む事で補償行為として誤魔化しているとも言うし、少しは同じ位相に立たざるを得なくなった人間への同情みたいなものもあるんだと思うけれど。諦めんなよって言う本人が一番諦めているのは皮肉以外の何者でもないのだけどね。まあでも、いい加減に俺も学習したしさ、そこでそう振る舞えないなら、もうそれは無理だと思うんだよね。だからここで踏み止まってみたいなと、うーん。これも拒絶なのかな。謝絶に近い気もするけど。どうなんだろう。


 そうやって笑っていれば、浮かぶ瀬なんかなくてもやっていけたらいいなあと、相変わらず甘い事を考えてる。