そういえば、生態系の話。

 俺個人は「人間と自然を分離して認識するなどおこがましいとは思わんのかね?」という信条で人は自然の一部に過ぎないと思っているよ。鹿が増えたら狼が増えるじゃないですか、だから人間が増えても良いんじゃないですか?増えすぎたら自滅して減るよ、問題ない。所詮その程度のこともコントロール出来ない人間が生態系を守護しているなんて噴飯モノですよ?


 志は高く評価しますけど。


 んで、有史数千年の歴史で人類は沢山の種を駆逐してきた訳だけど、そのうち「あれだけは失敗だった、残しておけば良かった」って種はどれくらいいるのかなあ?
 案外他の何かがその穴を埋めて世界はゆるりと回っているのではないのではないのですか。「それは自然を乱している」って批判は前述したとおり「何が自然なのか」という認識の問題なので俺は乱しているとは感じない。そういう変化も含めて大自然ですよ、そこに妙な肩入れをするのは学術的な正義感とかじゃなくって、ただの感傷だと思うんだ、俺は。
 リスクヘッジとしての多様性ストックには大きな異論はないです、いち意見として尊重すべきかと。でもさあ、多様性を失って問題あるレベルってどのレベル?って明確な解を得ることなく何でも大事大事ってのはそれ本当に学術的な立場?って思うんだけどな。「環境を完全にコントロール出来るほどの技術がない以上、過度の干渉は慎むべき、何が起こるかわからんから」って話ならわかる。むしろその論を除いて多様性の効用を説かれると「ゴミ屋敷にならないと良いな」とか皮肉を言いたくなる。
 所詮現状は拮抗しているだけに過ぎず、ベストアンサーではない。そもそもベストの所在を問うのが気違いじみてる話なんだが、だからと言って放っておけば変わっていくものを真面目に変えないように頑張るって神経もちょっと不可解だ。そういうとクーガーさんみたいな人が「早さが違うだろksg」とか言いそうだな。
 この話は歴史の話に近い部分があるよ。簡単に言えば「今の平和な時代をそのままにしておくべきだ、余計な変化は必要ない」っていう一意見に過ぎないとも言える。これは正統の連中もカルトの連中も同じ。情緒的な意見をなんとなく理論でオブラートしちゃってんのも同じ。不思議なのは「じゃあ小規模でオールスター生態系作ってコントロールしてみようぜ!」っていう前向きな破壊者が出てこないのがなんていうか不思議だよね。面白そうだけどなあそういうの。


 とりあえず俺のスタンスは、保全主義者ノリに近い訳で、でもそれは「excelは新しくなってクソになったな」とか「古いアプリも大事に取ってます」とか、蒐集癖の域を出ないんだよ。冷蔵庫の卵が腐ったら親子丼を作れないけど、それならそれで照り焼きでもいいんじゃないかなあ。ってスタンス。「えいえんはないよ、ここにないよ」って俺は思うから、移り往く世界のポートレートでもCTでも構わないけれど、それを後生大事に抱えて生きていきたくはないかな。未来云々って良く言うけれど、ちょっと君それは俺ら自然を舐めすぎてないか?って思わなくもない。