年末いやだー。

 忙しいんだよ、無駄に忙しいんだよー。
 ふと「ああつまり宿り木ですよ」とか思いついて心のバランスをとろうとしている自分にがっかり。そこは随分前に通過しただろう。結局自分を変えないと状況は打破出来ないんじゃないかなあ。って思うよ。
 当面このままだろうし、まあそれはそれでいいや。そうやって通過していく景色が途切れた頃に何か見える事もあるだろう。


 ぶっちゃけ弱った人間に都合良く利用されてる感は否めないんですけどね。十分休んだらさっさと行けばいいよ、ここにずっと居ると腐って死んじゃうよ。前に進んで勝利する人間はさっさと勝てばいいじゃないの。俺の知った事じゃないよそれは。どうせここは「一見なにか出来そうで、その実なにも出来ない」クズの澱みですから。


 切り捨てられる事はよくあるけれど、はっきり自覚すると辛いなあ。これいつになったら慣れるんだろう。


 追記
 俺の人生は基本的に無価値な物だと既に了承済なので、記録が無価値である事は織り込んでる。だから、そうなるのが怖いって言う人には、ご立派な自意識があるなぁと、素直に感心するよ。自分の人生を価値ある華やかな物にしたい、そう願うのはなんてすばばばばば(ry 死ぬ気で頑張って欲しい、心の底から軽蔑する。
 そうだね、「原稿用紙300ページに渡る座右の銘は、30文字以内に凝縮された座右の銘に勝る」と信じるならそれでいいんじゃない?テキストより動画の方が価値がある、チタンより鉛の方が価値がある、そう信じるのは自由だよ。
 まあ、なんにせよ永久に誰かの心に刻まれる人間なんてごく一握りだよ。他は消費されるだけなんだ。んで、俺は使い捨てられる側で、それこそ何処にでも居るような、誰とも変わりがない、くだらないちっぽけな存在だよ。でも、ここにしかいない。ここにいる。それが時々不思議で、もしかしてどこかに代わりの男が居るんじゃないかなあなんて、思ったりするんだ。