ああそうかレノンか。

 個人的には納得がいったので満足した。なるほど。
 飲み屋で「高血圧で肥満とか死んじゃうから痩せろ」とどうしようもない罵り合いの果てに「年寄りは長く無いから好きに生きて死ぬんだ、お前は若いんだからちゃんとしろ」とか言われて半ギレしたわけだが。やりたい事があるかないかでしかないわけで、やりたい事がないなら死ぬのも選択肢のひとつだと俺は思ってるから異論はねーよ。でもそれを俺に押し付けるな。


 「犬はね、群れで生活することで群れへの帰属意識が高くなる方向に進化した訳だよ。そういう犬が好きな人間というのも群れへの帰属意識が高い訳で、他人に必要とされたい動物は他人がいないと生きていけないんだって、動物心理学会のオセロット博士が言ってた。」「オセロットって猫じゃねーの?」嘘みたいな作り話。突っ込みにキレがないのも仕様。端的に言えば共依存ですよ。


 つまりまぁ。必要としている人に必要とされる訳でもなく、必要としてくれる人が居る訳でもない俺は、なんで生きているんでしょうねという話。こうして生き恥をさらし続ける事で何か残せるのだろうかね。他人に必要とされてる実感のない人生って、結構空虚よね。俺はそれを知ってるけれど、なんでも拾ってやれる訳でもなく、何か背負える訳でもないので。手が届く範囲、掴める範囲では拾っていくつもりだけど、そうやって送り出す仕事が一体何を俺に残してくれるんだろうね?何も残らないんだよな、結局そこから歩いていくのはそいつの能力でしかないのだから。たぶん、そうだな。断言出来るよ、どうせ忘れるんだろ、って。まぁそれでいいんだけどさ、その程度でしかないし、打破は出来ない。だからまぁ、それでいい。
 そういう意味では誰かに必要とされている人間はそれだけで尊敬の対象であり、同時に激しく妬ましくもある。そんでもって、その感情自体が無駄なモノである事に気付きつつあるんだが、このトリガーと言うか鬱屈した熱を何かに向ける事が出来れば何かは残せるんだろうなと思いながら、二酸化炭素を流し込んで鎮火する作業を淡々と進めている俺もどこに行きたいんだろうね。


 どうせ誰も彼も何処も其処もなにもかにもだ。そこに期待はしない。ゼロは何を掛けてもゼロなんだからな。須くゼロを脱出すべき、それだけの話で、それだけの話がこんなにも苦痛だ。俺は笑ってるよ。認めたくはないけどなぁ、これ絶望してるんだろうな。そんなに現状を受け入れられないのか俺は。