たんたんと。

 端的に言えばかなり前の話の続き。延々と続くのは出口が無いからではなくて出る気がないだけだと思う。
 既存の物が気に入らないからと否定した場合、それと交換出来る他の何かが無いと穴が開く。中途半端に突っ込むと隙間が空く。これを繰り返して行くと最終的に大きな空洞となって、そこを穴埋めするのはルサンチマンと言う暗黒物質だったりする。
 だから単純に脱構築で既成概念を打破しても、そこに入れるモノによっては悲惨な状態になる訳だよ。まぁ俺の話だけど。
 いま思えば傲慢でも良かったんじゃないかなぁと思わないでもないけれど、結局礎になる何かを「持たない」というのは最終的にふざける者としての愚者か、周囲を巻き添えにして全てを真っ平らに否定し尽くす大自爆以外に道はないのかもしれんね。この回廊は15年くらい回ってるけれど、他の出口は見当たらない。
 結局は何かの礎を持ってそれに寄りかからないとまともに立つ事も出来ないんだろうね。いや、「何も無い」っていうのもひとつの礎にはなるのだけど、そこには社会性も無いので実用性も無いと言うか、そもそも実用性も無いというか。人間はスタンドアローンで生きていくのは難しいと言うより、今更利便性を捨てて自給自足で閉塞した生活を進んでやる奴はいない訳だから社会性は必要だと思うんだよね。要するにお金とかお金とか、あとお金とか。ついでに食い扶持とか。
 で、まあ要するにその空っぽの器に何を入れたら良いのかと、何が入るのかという本題を解決出来ないまま今に至る訳だ。


 まぁだから、何にも無いんですよ?本当に何も。そこで他人をアテにする事がどれだけ下らないかは何度も喰らってわかっちゃいるんだけど、一人では解決出来ない事も良ーくわかってしまっているから全くタチの悪い話。信じてもいい事なんか何も無いくせに、賭けてみたくなる事はあったりする訳で。まあ結局それだって宝くじと大差ないんだけどな。当たった事?3つかな、3つはいまでも確実に当てたと思ってる。でも残りは全部スカったな。当落不明?はは、ハズレだよハズレ。ゴミと大差ない。だから死んじゃえば?って言われるんだろうなぁ。死ねるなら死にてえっつーの馬鹿が。義務と責任放棄するほどクズじゃねえだけだっつーの。