ひさびさだなぁ。

 色々思うところがあって「ウィザードリィの秘密」を読み直してる。ゲームと対峙する時の基本線と言うか、WIZ友の会とも繋がる世界の膨らませ方を学んだ本で、色々あるとここに帰って来てる。善悪のアライメントの解釈は秀逸だと思うよ、HPの話はI~Vのすべてのどこかに収録されてるのかなぁ。外伝からWIZに入ったニワカだからその辺良く知らないんだ。未だに外伝IIのイマジネーションガイドブックを探してます。誰かくれ。いやください。

 (略)しかし、システムの矛盾点ともいえる部分はもっと鷹揚に眺めて、自分なりに世界を広げることの方が、
よりこの世界を楽しむための有効な方法となるのではないでしょうか。
 こういう言い方は卑怯な感じで気が引けるのですが、ゲームはゲームとして括られた時点で、閉じたものになって
しまいます。ですがプレイヤーは様々ですから、当然、閉じた環境では対応しきれない状況も生じ得ます。それをよ
り大きな環境へと広げる手段は、その世界を愛し、自らの手で拡張することだと思うのです。如何なものでしょうか?

 個人的にはこういう解釈大好きです。で、ゲームで遊ぶって結局そういうことなんだろうなぁ。オープニングからエンディングまでの間にどういう物語が自分の中で出来上がってるか。それが面白さの評価に反映されるんだけど、ここで出来上がる物語を作ってるのはクリエイターじゃなくてプレイヤーなんだよね。ゴミみたいなシステムとストーリーでもギャグとして読めば結構面白いというか、バカゲークソゲーへのアプローチって、結構エポックメイキングだったと思う。読み手の質を高いレベルで問うプレイスタイルだったけど。


 まぁ、世界は不完全であるから良いのですよ。続編が出て、世界が練り込まれて、どんどん謎が明らかになって世界が完結していくのはそれはそれで楽しいですよ、でもそれって結局、行き止まりへの疾走なんだよな。ギッチギチに詰め込まれた箱を渡されて、「見て見て!凄いでしょ?」って言われた時、俺に出来ることって「ああ、凄いね」って返事することだけだよ。「このスキマにコレねじ込んだら面白くね?」とか「こんだけでかいスキマあるならコレも入るんじゃね?」とかワイワイやるのが、やれるうちが一番楽しいんだと思う。…ああそうか、コレが侘びか。


 空白や余韻をうまく使ってモノを作るのは本当に難しいよね。