各論ネガティブ、総論ポジティブなんだよ?

 割と悲観的なことしかいわないのに、未来には良いことがいっぱいあると信じてるんですね?


 そんなはずないのに。


 戦う前から諦めるから負けるんであって、頑張って戦ってみたら良いんでね?とりあえず俺はここから見てるから、みんながんばれー。
 以下デフラグ中の案件。10年以上放置してるフラグメントばっかりだな…


 昔々読んだラノベで、絶望のズンドコに落ちた人に対して反論するものの論破された挙げ句「なんかあんだろ、なんか。」とか抜かしよる秋田ロジックが大好きでした。曖昧だけど随分強い言葉だと。今日食べたチョコがおいしかったとかさ、トンカツの脂うめえとかさ。僕の高校時代の師は「身の周り3mの小さな幸せを探してごらんよ!」といたずらっぽく笑ってたけど、いやあの顔は邪悪だった。邪悪だ。まあ、その言葉に従って生きているけれど。
 どんなに嫌なことがあっても、良いことが全くないって事は無くて。あるんだけど見逃しているだけと言うか、見えてないだけなんじゃないのかと。視野の比率を変えろと言うか、視点をずらしてみろと言うか。真実はたったひとつだけど、その真実はでか過ぎて見る位置によって全然違うんだぜと言うか。人間一人の視点や視野なんてモノは、案外全然違うもんだよと言ったのは寄生獣のミギーだったかマスターキートンのオーロラおじさんだったか。
 くだらないとは言わないけれどね。寄る辺ない人格なんてゴミみたいなものだし、そうやって積み上げてきた自分の世界をちゃんと背負って生きないと人間ダメだと思う。でも、それと同時にそれが割合あやふやなものだってことを知ってないとダメで、他人の世界にもちゃんと耳を傾ける余裕は必要なんだと思う。バランスが難しいけれど。
 力関係でごり押しするんじゃなくて、ちゃんと話合えてれば違ったのかな、と思わない訳でもない。それが出来ないから、みんなこんなザマなんだろうとも思うけれどね。俺もそうだけど、他人と話して、お互いにうまく歩み寄って結論を出すのってけっこう難しいし、しんどい。


 遺伝子で性格に傾向が出るんじゃないかなー、とは思う。脳を作っていく時の配牌はたぶん遺伝子に依存しているだろうし。だから使えるミームと使えないミームに個人差がある様な気はする。完全互換性は諦めるべきだろ。尤も、一番でかい影響を与えるのは初期配置じゃなくてその後積み重ねた経験なんだろうけれど。だからいろんな人の経験をアップロード、ダウンロード出来るような時代が来たら、性格は段々均一化してくんじゃないのかなあとか思わないでもない。偏向して尖っていくヤツはきっと出ると思うけれどね。
 でも他人の痛みなんてわからないから、痛みを共有するか、同じ痛みを追体験してみれば他人に優しくなれると思うんだ。味わったことのない痛みに対して想像で「可哀想!辛いよね!」って言うヤツは俺は嫌い。嘘くさいと言うか、お前になにがわかんだよ、というか。わかんないのは別に悪いことじゃないから、わからないことをわかったつもりにならないで欲しいと強く思うね。たまにたぐいまれな想像力で良くわかってるヤツもいるけど。まあごく少数だ。
 そんな訳でとても深いところで他人に理解されることを拒絶していたりするのだけれど、理解されないから理解されたいって願望も同じくらい強いんだろうなあと思った。まあでもそれは無理だ。諦めるべきだろ。


 世の中は相変わらず掃き溜めみたいなどす黒いところだけど、その中で時々良いことがあるから息継ぎ出来てると言うか、世間様のご好意で生きることを諦めることが出来ずダラダラ生きながらえている。それはそれで素晴らしいことでもあるので、感謝を忘れてはいけないし、お礼もしなきゃ行けないのだと思う。忘れがちだけど。


 基本的に人嫌いだけど、人に懐きたがっているのでエサ貰うと本当に大喜びで尻尾振ってる自分はなんなんだろうと思ったりする。身内に甘いのはきっとそのせいで、多分それは不良が仲良くなると良いヤツだったりするのと同じ。みんな身内には甘い。だからみんな身内になればいいと思う。